2013年9月3日火曜日

「働かない選択のできる社会の構築」とはどういうことか?

僕が望む「働かない選択のできる社会の構築」とはどういう事なのか。自分の思考の整理も兼ねて書いてみたいと思う。思いつくままに書くので駄文になる予感大!

僕的「働かない」とは
僕の定義する「働かない」とは貨幣労働の強制からの脱却である。嫌なのは強制です。これからのビジネス、仕事は遊んでいるのか働いているのか区別が付かなくなるって意見があります。それは、楽しんで仕事する事だと思う。現在、恐らく大半の人は仕方なく労働をしていると思う。でも、その仕事はコストを度外視すれば機械化、自動化できる所まで科学技術は進歩しているんじゃないかな。じゃあ、できないことはないレベルだけど実現可能ってことだ。もちろん機械化できない仕事もある。それは、やりたい人、その仕事が楽しいと思える人がやればいいと思ってしまうのです。

この意見は、労働を否定するものではありません。工場労働者や企業の営業など様々な職種がありますがどの職種もすごいと思ってます。けど、現在は実質どれかの職業につかなきゃいけないっていう貨幣経済社会への参加を強制されます。それは、自由に仕事選んでいいよって事になってるけどお給料や場所、年齢などの制限でつける仕事ってのは限られてます。実際は自由なんて無いのです。こんなに技術が進んでるのに未だにそんなに不自由なのは不自然だ。そう思うのです。

なぜ不況なのか。
不況とちょっと考えてみます。僕は経済に詳しい訳でも何でも無いので素人の妄想としてお聞きください。不況はモノやサービスが売れにくいって状況です。現在のそれって、競合するモノやサービスが乱立しすぎてるって事じゃないのかな。保険でもたくさんの会社があって、どれを選んでも同じ。サービスだけでなくお菓子や車など身の回りのモノどれをとっても高品質で同じような商品が乱立してます。

それは、どの分野も無くなっても問題ない会社が山のようにあるってことです。無くしたとしても、全体の生産量は維持できるでしょうし、減少したとしても現在って作りすぎてる状況だから生活には大して影響しないと思う。ただ、潰れた会社の人は貨幣経済社会から放り出される事になる。だから、その人達の生活を保証するシステムが必要だ。それは、ベーシックインカムなのか何なのかわからないけど、ここは技術とは関係なく仕組みの話なのでこれこそやろうと思えばできるはずだ。

次回書きたい事メモ
少数の人が多人数を支えるシステム
フリーを途中まで読んで思った事。

今日は疲れたので、ここまで。このブログの読者が増えたらKindle本を出してみたい。




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